社員インタビュー 穴山・ブヤン・行晴/仕上げ部門担当
仕上げ工程で働いている穴山は、もともとはバングラデシュからの留学生でした。すでに20年ほど勤務しており、日本人の女性と結婚したことで、日本に家を建てて帰化することとなりました。
──櫻井精密工業で勤務することになった経緯を教えてください。
もともとこの会社で兄が働いていました。私も日本で仕事をしたいと願い、その夢が叶い1998年にバングラデシュから来日いたしました。以来ずっと20年ほど、この会社で勤めてきました。
母国では、日本というだけで「技術がすごい、他の国と違う」と言われていました。そんな日本で働いたら、収入の面はもちろんのこと、技術の部分でも勉強にもなると考えました。
──櫻井精密工業の印象はどうでしたか。
自分の国では見たこともない機械があって、やはり最初は圧倒されました。また慣れるまで仕事はうまくできず、兄に叱られながら少しずつ仕事を覚えてきました。
──お兄さんに指導されたんですか。
最初に仕事を教えてくれたのは兄でした。仕上げの工程は、弊社の仕事の中でも特に大事な部分。部品を何百、何千ものロット数で製造いたしますが、それぞれの部品でチェックする箇所がいくつもあります。仕上げの技術はすぐに体得することができるものではありませんが、部下にもそれをしっかり教え、伝えていきたいと考えています。
──仕上げ部門のこだわりはありますか。
これは当然ですが、工場では仕上げ工程が最後のプロセスですのでやはり不良を社外に出さないことです。不良品を見落としてしまえばそのまま出荷されてしまいます。その責任は非常に大きいですよね。自分の部下にもそう言う意識をしっかりと教えています。
──会社の雰囲気はどうですか。
以前は工場がいくつかの場所に別れていたんですが、いまの自社ビル工場に越してきてから、従業員同士のまとまりがよくなったように思います。職場が一緒になって、誰がなにをしてるのかがわかりやすいですし、皆とても仲がいいですね(笑)。社長は賑やかなことが大好きな方で夏には暑気払い、冬には忘年会・新年会をしてくれます。一昨年は、6月に40周年記念で、決算には奨励でと1年で2回もに旅行に連れて行ってくれました。そういう場で社員同士の親睦をより深めています。
──櫻井社長が旅行好きなんですよね。社長はどんな人ですか。
日本に来た最初の頃、社長に言われて印象的だったことがあります。「あなたは傷のついたテレビを買いますか?」と。そこで私が「いえ、買わないと思います」と答えたら「それはお客様も同じなのです。お客様もいいものが欲しいのです。傷のついていない、いいものを作りなさい」と言われました。
それまで自分はそうしたことを考えたことがなかったので「日本人はこんなふうに考えているのか」と驚いた記憶があります。
──モノづくりの姿勢を、わかりやすい言葉で教えてくれたんですね。
社長は自分にとって親のような存在です。どんな小さなことでも面倒を見てくれます。この会社にはいろんな国の人がいるけれど、皆のことを心配して、親身になって考えてくれます。
家族のことでもそうです。うちにも子供が2人いるんですが「学校はどうですか」と声をかけてくれます。すでに上の子は高校一年生、下の子は小学三年生です。日本に来た最初のころは会社が用意してくれたところに住んでいましたが、4年前に自分で家を建てました。
──それはなかなかできないことですね。
お金が貯まりまして(笑)。こちらに来た当時は、お金を稼いだら、自分の国に帰ろうと思っていました。その後、日本で今の妻と出会い、結婚して子供にも恵まれて。子供たちは日本の文化で育っていますし、自分もこちらでずっと暮らすと思います。
──会社の環境はいかがですか。
働きやすい環境だと思います。多くの外国人も雇用していますが、社長を始めとして従業員同士で技術を向上させようという意識があるから。もちろん仕事に慣れないうちは時間がかかりますが、職人気質のある社長の下で学んでいるうちに、一人前の腕を磨いていきます。
──これからの目標はありますか。
この会社でずっと働きたいと考えています。家族もおりますし、自分の家のローンもありますから(笑)。そして、いい仕事をして貢献したいですね